» 2010 » 12月のブログ記事

~ 患者様とのコミュニケーションで気をつけていることはどのような点でしょうか ~

松本 以前は矯正というとお子さんの患者様が多かったのですが、現在では成人の患者様が8割程度を占めています。最近ではセカンドオピニオンを求めて来院される方も増えました。特に注意しているのは他院を誹謗しないことです。色々な考え方、治療方針があることを踏まえてご説明するようにしています。

当然のことですが、患者様の主訴やご希望などを注意深くお聞きしながら、その場でカルテに記載するようにしています。患者様は目の前で書いているのをご覧になって「理解してもらえた」と安心されるようです。

【医院スタッフ】

院長の米山和伸先生(中央・松本先生の左隣)をはじめ、

「美しい歯並びは幸福へのパスポート」をモットーに、

よりよい治療を目指して診療を行っている。

【J-シート】

ホウレンソウを分かりやすく記入できるよう工夫がされている。

スタッフの手作り

~ 院内で定期的に行われている会議や勉強会はありますか。 ~

まず、毎朝ドクターが集まって症例検討会を行っています。難症例、問題症例については随時、夜にも行います。スタッフミーティングは毎月一回、J-シート(情報シート)に基づいた報告・連絡・相談の確認、問題点の検討など意見の疎通を図っています。

整美会で特徴的なのは、整美会のOBによるアルムナイミーティングを行っていることだと思います。大学の同門会が多い中、開業医の同門会は珍しいことですが、父の代から在籍された関星良先生はじめ、多くの先生方と旧交を温める貴重な会合でもあります。また、患者様を通してお付き合いのある先生方との交流を目的とした年一回のサタデーナイトミーティングも40年以上続いております。「継続は力なり」です。

移転前には診察室の隣に30人座れる研修室がありました。シャーカステン付きのデスクを設け、受講者がいつでも勉強に来て当院のドクターとも交流し、相談できるスペースです。「地価の高い新宿にお金を産まない研修室を作らなくても・・・」というご意見もありましたが、研修室は直接お金を生まなくても別のものを生んでくれます。勉強を重ねていい治療をすれば患者様の信頼を生み、新しい患者様の紹介につながります。今では以前の患者様がお子様を連れて診療にこられることも多くなりました。「患者様は最高の師である」という言葉がありますが、まさにそのとおりだと思います。

現在の米山和伸院長は九州歯科大学を昭和50年に卒業後、直ちに入局され、持ち前のバイタリティーと努力で勉学研鑽を重ねて、昭和63年に院長に就任、爾来、一貫して整美会とともに歩んで前進の原動力として貢献されています。

【profile】

松本圭司(まつもと けいし) 歯学博士

医療法人社団日本整美会

整美会矯正歯科クリニック理事長。

昭和31年東京歯科大学卒業。


初代院長松本茂暉ならびにDr.Wallace Bellに師事。米軍ジョンソン空軍病院にて研鑽。アメリカの数多くの著名な矯正専門医のセミナーを受講し習得。特に昭和52年にカリフォルニアで受講したDr.Robert Rickettsには大きな影響を受ける。昭和42年に新宿に整美会矯正歯科センター開設。診療に携わりつつも慶應義塾大学医学部講師、日本臨床矯正歯科医会会長などを歴任。平成19年11月に現在の場所に移転、院名を改称した。

「貴重な所蔵本として」ご紹介いただいたのは、松本茂暉先生が昭和8年に発刊された「矯正学報」の第1号から22号(昭和16年に第二次世界大戦で休刊)です。それらの中の「歯列矯正治療の話―健康及び美貌となる近道―」という、今でもそのまま通用しそうなタイトルの小冊子が、驚いたことに国立国会図書館に保管されていたことが最近になってわかりました。そのカラーコピーは、常に手の届くところに置かれています。

その冊子からは、世界がまだ遠かった時代に海を越え、矯正治療法を持ち帰った茂暉先生の情熱を感じます。その情熱を受け継がれた松本先生にとっても、この「矯正学報」は診療・研究の原点なのかもしれません。

~ 昭和42年に新宿東口駅前にてご開設されていますが、新宿を選んだ理由はどこにあったのでしょうか。 ~

開設当時にかかげた夢とポリシーが三つあります。

第一に、患者様に信頼され満足されるクオリティーの高い矯正臨床を行いたいということ。

第二に、矯正歯科という医療を日本の社会に正しく認められるように啓蒙・普及させたいということ。

最後に、矯正歯科の立場から日本の歯科医療を一般医科と同様またはそれ以上に評価されるように力を尽くしたいということです。

この目標を実現するためには、なんといっても開業する場所が大事であると考え、不特定多数の人が一番集まる新宿駅前を選びました。多くの人が当院の看板を目にし、「矯正歯科ってなんだろう?」と興味を持ってもらいたいと考えたのです。当時、矯正治療というものは珍しく「吃音の矯正のこと?」「一年ももたないよ」と陰口をささやかれたり、面と向かって言われたりしたものでした。 幸い親しい友人の一般歯科の先生方から、診療内容が矯正歯科専門であることにより患者様を多数ご紹介いただきました。大学病院からもご紹介をいただくなど、口コミで良い輪がどんどん広がっていきました。

センター開設と同時に整美会矯正同好会を発足させ講習会を開催しました。1960年代のアメリカは矯正歯科のゴールデンエイジであったため、私自身が1年に1度はアメリカに渡りセミナーを受けて最新の技術を持ち帰り、その技術を講習会で伝えるのです。知識や技術は人に教えることで自分のものになりますが、そのためには何倍も勉強しなければなりません。しかし目標を掲げたからには「自分がやらなくて誰がやるのか」とふるいたたせ、日本の矯正歯科全体のレベルを上げようと微力ながら取り組んできました。

【写真】

診察室へ向かう通路にあるレリーフ。

人類の進化の歴史から比べると矯正で2年間位の通院は、

ほんのわずかな時間ですよという、

医院から患者様へのメッセージがこめられている。

~ 医療法人社団日本整美会を昭和31年に設立された、初代の松本先生についてお話いただけますか。 ~

写真(左)Dr.E.H.Angle

写真(右)松本茂暉先生

松本 私の父・松本茂暉(旧姓 野澤茂)は大正13年、26歳のときにAngle College of Orthodontia(アングル矯正専門学校)に留学しました。現在でも近代矯正学の世界の父と呼ばれているアメリカの高名なエドワード・アングル博士の家に住み込み、歯科矯正学にどっぷり浸かって勉学・臨床に励みました。

昭和2年に帰国後、日本赤十字社中央病院に勤務し矯正歯科を担当、世界における矯正治療の基本となっているエッジワイズ法の矯正講習会を開催、松本矯正歯科研究所を設立し、学会誌「矯正学報」の発刊など、矯正学・矯正臨床の普及発展に貢献しました。当時でも矯正講習会の受講生は日本全国だけでなく、台湾やアジア各国から1500名を越えたことが記されています。

戦後、昭和31年に医療法人社団 日本整美会を設立し、診療しながら矯正講習会を再開しました。また国産の既製矯正用バンドやブラケットの製作・販売を戦前と同じように企画、昭和35年に完成させアイデミー社(現在のトミー㈱の前身)を私、川口兄弟の4名でスタートしました。しかし昭和43年、アングル矯正専門学校と同じような校舎を文京区本郷に建設中、失火のために全焼、志を全うできずに焼死し72歳の生涯を閉じました。

父の死は突然のことであり、私自身が新宿でセンターを開業したばかりということもあり一時は途方にくれましたが、亡父の思いを受け継いでさらに前進を始めました。昭和44年に日本最初のパノラマX線装置を導入しました。これにより被爆量は従来品の1/10と少なく、しかも全顎的な診断が容易になったので、導入当時は近隣の大学病院や歯科医院から患者様の撮影依頼が相次ぎました。

そして40年間、診療・研究に励んできましたが、昨年11月に残念ながらビルの取り壊しのため移転となり、同じ新宿に医院を新設(ハタ設計)、院名も「医療法人 整美会矯正歯科クリニック」と改称し新規開業しました。設備も三次元立体画像解析が可能な3DCT・X線装置(モリタ)を導入し、より精度の高い診断ができるようになりました。レントゲンのデジタル化に伴って薄いビスカのカルテファイルに変更しました。コンパクトなのに丈夫でしかもカラフルで分類しやすいのでとても気に入っています。

【3DCT画像】

移転を機に三次元立体画像解析が可能な最新設備を導入

つづく ・ ・ ・

以前、雑誌に取り上げられた記事を載せます。

理事長 : 松本 圭司 先生

臨床の重要性にこだわり、今でも現役で診療を続けられている松本先生。今や小学生が自分の歯や口に関する悩みは、むし歯よりも歯並びを気にするという時代(「日本歯科新聞」2008年6月10日号より)になりました。歯列矯正、審美という言葉がまだ一般的ではなかった40年以上前から、整美会矯正歯科センターはその名のとおり歯列矯正を専門に診療されてきました。昨年の11月に移転と同時に整美会矯正歯科クリニックと改称され、ますますお忙しい中、医療法人社団日本整美会 松本理事長にお話をお伺いしました。

つづく・・・

様々な勉強会や講演に参加 ・ 講演されている理事長先生を始めとした

整美会矯正歯科クリニックの活動記録が出来ました!

矯正治療に関する事を定期的に更新致しますので

是非ご覧ください。